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時差

十月十日にサンフランシスコ国際空港から出て、十一日に日本についた。今回、妻は留守番なので、両親とこれからの事をいろいろ話しておこうというのが第一の目的だった。それから高校卒業二十周年目の同窓会。それ以外は、どこに行こうという気もなかったし、平日は会いたい友人も仕事で忙しいだろうから、実家に篭って勉強でもしていよう、 それから少し運動もしなければと、分厚い本やらランニングシューズもスーツケースに詰めての到着となった。

時差ぼけはしない方というよりは、現地時間の昼の間は我慢して起きていられるというのが当たっているようで、朝4時に目が覚めて長い一日がはじまるという滞在だった。ジョギングは台風十九号で出鼻をくじかれ、勉強にあてるエネルギーは両親のコンピューターやらスマートフォンの設定作業に取って代わられた。まあいいや、休暇を満喫するか、と開き直るのは 案外早かった。

運動や勉強をするエネルギーは不足していたものの、時間ばかり持てあましているという有り様だったので、とある夕刻散歩へ出た。境川を登るように歩いて、大門小のまわりを一回り。そのまま本郷、中屋敷と子供の頃自転車で遊びまわっていた地域を二時間くらい歩いてみた。

アメリカから帰ってなつかしい住宅街を歩くと、渡米後自分の背が大分高くなったような錯覚におちいる。だだっ広い町並みに目が慣れてしまい、日本の住宅街は小さくせせこましく見える。坂やくねくねとした細い道が多い瀬谷ならなおさらだ。それでも日枝神社の大けやきだけは、こんなに大きかったのかと改めて感心した。まだ元気に立っているのかとも思ったけれど、十四年というのは木にとってみれば短いものだろうと、その考えは撤回した。

日が暮れてゆく。平日なので、駅から歩いて家路に急ぐ会社員やら学生やらとすれ違う。すれ違うたびに誰か知った顔が通らないかと見てしまう。誰も知らない。いよいよ辺りは暗くなる。考えてしまう。十四年。

たしかに環状四号線が通ったり、駅前の再開発が地味に進んだのは事実だけれど、幼馴染みが住んでいたぼろアパートの一角がそっくり当時のままだった事のほうが重かった。父によく連れ行かれた釣堀もそのまま営業していた。懐かしい風景を再度見られて喜べばよいのだが、時代に取り残されたような町だ...という思いばかりが強くなる。違うといえば、歩いている人が全然知らない人ばかりなだけ。変わらない街と、そこに住むもう知らない人々。面白い組み合わせではない。

とっぷり暮れ、あきらめて家路につくと、妻と住んでいるサンフランシスコベイエリアの事が思い出された。よく整備されてゆったりとした町並み。賑わうダウンタウン。先取の気風に満ちあふれたビジネス。近所でよく見かける自動運転車のテスト走行。それでいて、十五分も車を走らせれば味わえる自然。地域でとれた野菜を売る休日の朝市。

今住むその街と故郷の風景の断絶は、十四年の時差をそのまま左右にならべた様なコントラストとして重くのしかかってきた。

家もすぐそこという街灯の下、犬の散歩をする婦人がいた。声をかけて挨拶をすると、「あら乃ちゃん。よくわかったわね。この子は二代目なのよ。でも、もうお年寄りで先も短いの。」と説明してくれた。

Original post: Oct. 27, 2014 | Last updated: Nov. 2, 2014

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