Essays


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41歳

30年前に新築した実家のローン返済が無事完了したと両親から聞いた。 父と叔母はもともと東京都港区芝大門出身で、 結婚前に祖母とともに横浜市瀬谷区の現住所に引っ越してきたのが今の実家の住所である。 私が10歳の歳にもともとの家を取り壊し、鉄骨造で建て直したのだ。 仮住居に引っ越したり、鉄骨があらわな現場を見学に行ったことを今も鮮やかに覚えている。

その日本の実家に長女えみを初めて連れ帰った。えみにとって初めての海外旅行で、 時差や環境の変化に戸惑う様子もあったが、総じて旅程をうまくこなしてくれた。 私にも我が子を守り育てるという自覚が芽生えて久しい。 親戚にようやく慣れて無邪気に遊ぶ娘を見やり、 そして10歳からお世話になったこの家の天井を見上げると、 遅ればせながら両親への感謝がにじみ出てくる。本当にありがとう。

今年はデビッド・ボウイを始め、時代を飾った多くのアーティストが突然のように亡くなった。 欧州連合からのイギリス脱退問題やアメリカ大統領選挙の顛末など、 人の心を大きく揺さぶる政治問題も多かった。 忌まわしい2016年など早く終わってほしいと考えるアメリカの若者も多いところだ。 しかし、自分個人の一年を振り返ると、 長年の努力が実を結んだ出来事を思い出す気持ちのよい年だった。

3月にえみの一歳の誕生日会をひらくと、会社の社長をはじめ、友人と家族が20名以上集い、 にぎやかなパーティーとなった。春から夏には、子育てをしながらマラソントレーニングを再開し、 7月のサンフランシスコマラソンで念願の4時間を切ることができた。 仕事では数年の準備をへて下半期から正式にデータサイエンティストの役に就いた。 先週は誕生日が近いことは敢えて伏せながらパーティーを開催し、 私がスペアリブをスモークしたり、天然酵母ピザを焼いて、 20名以上のゲストに飲んで食べ会話を楽しんでもらった。

それぞれの出来事に対して素直に誇りを感じた一年だった。

party

マラソン

草創時の気違いじみた忙しさはなくなったものの、スタートアップ会社勤務は日々難題の連続だ。 昨年から子育てという大きな仕事が加わり、共働きの我々は完全に家事育児を分担している。 その中でのマラソントレーニングは焦る心との戦いだった。これを通じて培われた辛抱強さや、 疲れてふらふらでも子供には笑顔で接しようと頑張ることで、内から湧くエネルギーは、 人生万般でこれから役に立ってゆくことだろう。そして結果は3時間58分。 3度目のマラソンにして、初めて4時間を切れて本当に満足だった。

データサイエンティスト

5人目のエンジニアとして入社した当時から、 会社のサービスの利用で発生する消費者行動データに注目していた。 当時は製品も未成熟で、ユーザーもいなかった。それから約5年、 全米50州1万2千のレストランや小売店の顧客2600万人に使われるサービスに成長した。 意味のあるデータが入ってくる。数年前から地道に統計、データ解析手法の研鑽を重ね、 CTOとビジョンを語り合いながら、これまでになかったデータサイエンティストの役職を作り、 エンジニアリングから移行した。結構な道のりだったが、一つの到達点を迎え、 新たな挑戦が始まったのだ。

「マラソンと子育てが人生とキャリアに関して教えてくれたこと」と題した英文のエッセイはこちら

パーティー

元来内向的で、人付き合いは努力でやっていた方である。 時間さえあれば閉じ籠もって、個人的なプロジェクトに没頭していたい性分だ。 また渡米後も東に西に4つの州を転々とし、気のあった親友は今ではすべて遠距離。 そんな自分には、直接会える友人など数えるほどいるものかと悲観的になってしまうことも多かった。 勝手に友人の敷居をこちらが高くしているせいもあるかなと反省し、 自宅でのパーティーを開催して人を呼ぶことにした。 すると20人以上も集まるではないか。私のような移民も独り渡米してから16年が過ぎ、 自宅にこれだけアメリカ人を集められる様になったのは、なかなか感慨深いものだ。

41歳

さて41歳。考えてみると、父が実家の建築を決断したのは今の自分の歳のころだし、 その数年前には勤め先の倒産がきっかけで自分の会社を始めた。その会社は30年以上も存続して、 家族を養った。自分といえば、父に10年遅れてようやく第一子を授かり、 2億円ほど出さないと買えないこの街の不動産相場にため息をつくことしばしばなありさま。 一方、日本を単身飛び出して米国で博士号を取り、アメリカ人の妻と結婚をし、 学術研究機関、軍関係、大企業、そして今のスタートアップなどで面白い経験をつんできた。 父とは時代、環境、方向性の面で大きく異なり比較はナンセンスなのは承知だが、 40代というのは父に関する記憶と自分の現在をついつい比べてしまう歳なのだろう。

「両親からの心に残る一言」と題した英文ブログは、こちら)

幼少から父にさんざん聞かされた言葉の一つは、 「教えてくれる人は皆先生だ。」というものだ。この年になると、 導いてくれる人と出会うの有難さをひしひしと感じる。何か教えを請いたいと思っても、 一寸会いに行けるところに人は無しである。 一方、自分の経験と少しばかりの才能をどう活かしてゆくか、 心のなかで立ち止まって考える回数は増えるばかり。個人の方向性を決める相談なので、 その道の専門家にやり方を教えてもらうという訳にはいかない。 悩んだ末、私のような者にも会おうと声をかけてくれる方、気軽に声をかけられる旧友など、 一対一の対話をする機会を意識的に作る努力を始めた。 スカイプ通話など、離れていても会える便利な世の中なので、 大学院時代の親友とは隔週で30分の対話をスケジュールに組み入れている。 「教えてくれる人は皆先生だ。」を座右の銘として謙虚に耳を傾け、 人それぞれの生き様を参考にさせていただこうと思う。

このようなことを考えながら41歳の誕生日を迎えました。サンフランシスコ・ベイエリア へお越しの際や私の一時帰国の際には、どうか気軽に声をお掛けください。

Original post: Dec. 17, 2016 | Last updated: Dec. 18, 2016

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